
私が好きなYouTubeチャンネルの一つ『岡田斗司夫マインド』。最近見た動画で興味深い話がありました。それは「感動というのは罪悪感の裏返しである」という岡田氏独自の考え方。子供は感動することはない、感心するだけ。例えば美しい夕日を見た時に、お父さんやお母さんは「見て。綺麗だね。」と感動するけれど、子供は『たしかに綺麗だよなー』とぼーっと見て、感心するだけ。
ではなぜ大人は感動するのか。それは夕日を見るなんてしばらく忘れていたから。時間に追われ、いつの間にか夕焼けも見ないような大人になっていた自分にちょっとした罪悪感を感じる。それを感動と感じるんだ、ということです。たしかに一理あるかもしれません。先日久しぶりに花火大会で花火を見た時、夜店でヨーヨーや金魚すくいに興じる親子を見た時、なんとも言えない切ない感情になったことを思い出しました。しかしこの気持ちの裏側を罪悪感と分析するにはあまりにも寂しいような気もします。なぜならそこには温かさが残ったからです。失ってしまった想いや時間への哀愁はもちろんありますが、その先には今ここまで来られた道のりへの感謝や喜びがあるはず。感動とは、心のアルバムの1ページをめくるようなことなのかもしれません。もうすぐ迎えるお盆。心の琴線に触れるような時間を、家族や友人と過ごしてみるのもいいですね。