
Fコードの壁を超えた日から
頑張れば出来る事が分かったんだ
大阪府枚方市出身。父親の仕事の関係で小中学校は兵庫県・石川県の学校に通う。東京の工業高校を卒業後、富士通に入社。12年間勤めるが、材木業を経営する新潟の義兄から「一緒に働かないか?」と声を掛けられ、大企業の中で仕事をする安定感よりも新たな仕事に魅力を感じ入社。64歳で退職した後は木材加工のお手伝いをたまにしつつ、趣味の時間を謳歌している。
Q:新潟にいらして材木業の営業をされたそうですね。
営業は初めてで大変ではなかったですか?
それはもう最初は大変でしたね。まず、新発田より北は方言が東北弁の訛りが混じっていて何を言っているのか分からない(笑) そのうえ、材木の知識がまったくなかったから、自宅で毎晩材木の勉強をしたし、現場の職人さんに木目の性質や材木の表面のテカリで硬さが分かる事など色々教えてもらいました。あと、県外から来たので新潟の地理もよく分からない。新津にお届け物をしに行った際に帰り道が分からなくて何時間もかかって帰ってきた事がありましたね(笑)
Q:白神さんは、沢山のご趣味があるそうですね?
70代初めまでマラソンをやり、各地の大会に出場したりしていました。今はジョギングとウォーキングを織り交ぜた走り方を自分のペースで楽しんでいます。ほぼ毎日ウォーキングをしていると、道端の雑草の成長も楽しめるんですよ。
ウクレレ・ボーカル・クラッシックギター(私)で「エーデルワイス」というグループ名で、月2回程デイサービスなどに演奏にも出かけています。とても喜んでもらえるから嬉しいですね。あと退職してから、前からやりたかった水彩画を町内の水彩画サークルに入って講師から習っています。木工品の加工もデザインから考えるのが好きで続いていますね。

「色々な事が実を結んで、今が人生で一番バラ色かも」と笑顔で話す白神さん。大手会社を辞めて新潟に来たので絶対に失敗出来ない!と強い覚悟で仕事に取り組んだそうです。
今がバラ色と思えるのは、今までの努力が花開き、日々の小さな幸せをも大切にしているからだと感じました。
白神さんが描いた水彩画